明治6年.6月10日 |
「開矇学舎」として東雲寺内に創立 |
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初代校長 小林 佑太 着任 |
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当時は神奈川県に属し、住所は鶴間村字4号426番地 |
明治7年 |
東雲寺焼失により、細野正重宅へ移る |
明治8年 |
名称を「開矇学校」とする |
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第2代校長 正木 賢蔵 着任 |
明治10年 |
第3代校長 坂本 辰次郎 着任 |
明治17年7月 |
第4代校長 熊沢 鏗爾 着任 |
明治19年3月 |
第5代校長 新井 倉之助 着任 |
明治20年7月 |
第6代校長 山崎 準一郎 着任 |
明治20年10月 |
細野喜代四郎氏ら学校関係者の資金資材の寄付と村人たちの労働奉仕によって現南第一小学校正門付近に新校舎を建て移転 |
明治23年 |
事務室一棟を増築 |
明治24年9月 |
第7代校長 小林 房次郎 着任 |
明治26年4月 |
東京府の管轄となる |
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校名が「東京府南多摩郡南村開矇尋常高等小学校」となる |
明治27年10月 |
第8代校長 坂本 龍之介 着任 |
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(日清戦争が始まる) |
明治27・28年 |
地域の教育的関心を高めるため、初めての運動会が開催される |
明治29年3月 |
宮本八十吉氏が土地450坪を寄付し、校地拡張と校舎増築がされる |
明治33年10月 |
第9代校長 手塚 豁雄 着任 |
明治35年10月 |
第10代校長 斎藤 七左衛門 着任 |
明治36年4月13日 |
国定教科書制度を採用 |
明治37年 |
(日露戦争が始まる) |
明治39年4月 |
第11代校長 荒木 宗之助 着任 |
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教室数5、教員数5、児童数310名 |
明治40年3月 |
義務教育年限が6か年となる |
明治41年4月 |
第12代校長 菅谷 開 着任 |
明治41年5月 |
校名を「東京府南多摩郡南村尋常高等小学校」と改称 |
明治42年6月 |
校舎増築(50坪) |
大正3年7月 |
校地拡張(3262坪)細野潔氏、宮本八十吉氏、細野繁蔵氏からの寄贈 |
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校舎も増改築 |
大正3年 |
(第1次世界大戦に加わる) |
大正4年3月 |
校地拡張、校舎増築落成式挙行 |
大正9年9月 |
南第一実業学校を併設(後の南第一農業公民学校) |
大正12年2月 |
第13代校長 中村 権平 着任 |
大正13年9月1日 |
(関東大震災) |
大正15年7月 |
南第一青年訓練所を併設 |
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児童数423名 |
昭和2年9月 |
校舎増築(242坪) |
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児童数518名 |
昭和4年4月 |
第14代校長 戸田 春吉 着任 |
昭和6年4月 |
第15代校長 若林 順成 着任 |
昭和6年9月 |
(満州事変が起こる) |
昭和8年9月 |
第16代校長 井上 幸知 着任 |
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(色刷りの教科書が発行される) |
昭和10年4月 |
併設校2校を廃し、南第一青年学校を併設。児童数680名 |
昭和11年10月 |
校舎135坪及び家庭科実習室を増築。児童数612名 |
昭和12年 |
(日華事変が起こる) |
昭和16年4月 |
校名を「東京都南多摩郡南村立南国民学校」に改称(普通科6か年・高等科3か年) |
昭和16年12月 |
(日本が真珠湾を攻撃) |
昭和17年9月 |
第17代校長 若林 健 着任 |
昭和18年7月 |
(東京都制施行) |
昭和20年8月 |
(第二次世界大戦が終わる)児童数680名 |
昭和22年3月 |
青年学校を廃す。 |
昭和22年4月 |
校名を「東京都南多摩郡南小学校」と改称。新学生発足(6・3・3・4制) |
昭和22年5月 |
(日本国憲法公布) |
昭和23年2月 |
用務員室(宿直室、教職調理室併設)を新設し、児童に“おかず給食”を始める。 |
昭和27年6月10日 |
創立80周年記念式典。記念碑を建立。児童数740名 |
昭和27年10月 |
第18代校長 三栖 謙三 着任 |
昭和29年4月 |
校名を「東京都南多摩郡町田町立南第一小学校」に改称 |
昭和29年9月 |
金森443番地に分校を開設(現南三小) |
昭和29年10月 |
給食調理室一棟を新設。週5日の給食に切り替え(A型給食) |
昭和32年4月 |
第19代校長 亀山 道鱗 着任 |
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本校学級数15、児童数751名・分校学級数5、児童数230名 |
昭和33年4月 |
校名を「東京都町田市立南第一小学校」に改称。町田市制を施行。分校が町田市立南第三小学校となる。 |
昭和35年12月 |
校歌を制定し、発表会を行う |
昭和36年3月 |
校舎を改築。木造2階建て4教室 |
昭和37年12月 |
校舎改築。木造2階建て音楽室・理科室など |
昭和38年3月 |
第20代校長 広田 勲 着任 |
昭和38年12月 |
創立90周年記念式典 |
昭和39年10月 |
(東京オリンピック) |
昭和41年4月 |
第21代校長 原島 貞一 着任 |
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鉄筋3階建て六角校舎(蜂の巣校舎)が完成 |
昭和43年1月 |
六角校舎の続き、鉄筋3階建て西校舎が完成 |
昭和44年7月 |
校庭西側に、プール完成 |
昭和45年4月 |
第22代校長 伊藤 富雄 着任 |
昭和45年9月 |
鉄筋3階建て東校舎が完成。学級数30、児童数1264名 |
昭和46年3月 |
体育館完成 |
昭和46年4月 |
つくし野分校開設(現つくし野小) |
昭和47年4月 |
つくし野分校が独立し、つくし野小となる |
昭和48年4月 |
第23代校長 須崎 静夫 着任 |
昭和48年6月 |
創立100周年記念式典。児童数1422名 |
昭和50年4月 |
小川小が独立し、児童209名が転出 |
昭和52年4月 |
第24代校長 柴 和紀 着任 |
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鶴間小が独立し、児童403名が転出 |
昭和54年7月 |
中央校舎完成、使用開始 |
昭和56年4月 |
第25代校長 落合 忠夫 着任 |
昭和56年9月 |
校門全面改修。校庭東側にプール完成 |
昭和58年6月 |
創立110周年記念式典 |
昭和58年11月 |
110周年記念資料室を開設。学級数23、児童数890名 |
昭和60年4月 |
第26代校長 嶺川 正勝 着任 |
昭和61年3月 |
学校正門前に学校園を造園 |
昭和63年4月 |
第27代校長 井上 一雄 着任 |
平成2年7月 |
東校舎・西校舎を改修。ランチルーム完成 |
平成3年7月 |
六角校舎を改修。和室・多目的室が完成。 |
平成4年4月 |
第28代校長 高儀 辰男 着任 |
平成4年7月 |
プール改修工事終了 |
平成4年10月 |
和室、多目的室完成 |
平成5年11月 |
創立120周年記念式典。学級数20、児童数673名 |
平成9年4月 |
第29代校長 佐伯 敏雄 着任 |
平成10年11月 |
第30代校長 藤井 英夫 着任 |
平成12年10月 |
西暦2000年に埋設したタイムカプセルを掘り起こす |
平成13年2月及び10月 |
創立150周年の時に掘り起こすタイムカプセルを埋設 |
平成14年4月 |
第31代校長 長沼 正幸 着任 |
平成15年11月 |
創立130周年記念式典 |
平成18年1月 |
給食室改修工事のため、お弁当持参給食 |
平成18年4月 |
第32代校長 小澤 英雄 着任 |
平成18年11月 |
町田市教育委員会研究推進校「研究発表会」 |
平成22年4月 |
第33代校長 黒沢 志津夫 着任 |
平成23年3月 |
(東日本大震災) |
平成24年5月 |
(金環日食) |
平成24年6月 |
エアコン設置工事開始 |
平成25年4月 |
第34代校長 佐野 友隆 着任 |
平成25年6月 |
創立140周年記念式典 |
平成26年3月 |
大王松プロジェクト開始 |
平成26年7月 |
トイレ大規模改修 |
平成27年2月 |
学力向上パイロット校研究授業 |
平成28年10月 |
町田市教育委員会研究推進校「研究発表会(国語科)」 |
平成29年4月 |
第35代校長 清水 淳 着任 |
平成30年4月 |
町田市教育委員会研究指定校に指定される |
令和2年2月 |
町田市研究指定校研究発表会研究テーマ「真の体力」の向上を図る教育活動の推進 |
令和2年3月から5月 |
(新型コロナウィルス感染拡大防止のため臨時休業) |
令和3年7月から8月 |
体育館空調設置工事 |
令和4年4月 |
第36代校長 安東 深雪 着任 |
令和4年4月 |
町田市教育委員会キャリア教育研究指定校に指定される |
令和5年6月 |
創立150周年記念集会 |
令和6年2月 |
町田市教育委員会キャリア教育研究指定校研究発表会 研究テーマ「豊かに生きる力の育成〜自分を知ることから始めるキャリア教育の実践〜」 |