さくら学級 社会 その2
- 公開日
- 2020/12/10
- 更新日
- 2020/12/10
SAKAI NOW
1221年に起こった朝廷と武家政権による内乱は「承久の乱」と呼ばれています。
京都(西日本)の後鳥羽上皇が、天皇家の実権を回復しようとして、鎌倉幕府(東日本)にいる北条義時を打倒しようと兵をあげた、朝廷対武家の争いです。当時、朝廷の命令は絶対だったのですが、源頼朝の妻である北条政子の「頼朝様の御恩を忘れてはならぬ」という言葉に結束を固め、やがて鳥羽上皇は降伏します。
その後、モンゴルからフビライ・ハンが九州を攻めてくる「元寇」が起こりました。1274年の文永の役と1281年の弘安の役です。元寇では大きな打撃を受けながらも、何とか切り抜けることができました。しかし、この後、執権に就いていた北条時宗は大いに悩みます。「御恩と奉公」です。日本の武士はよく働きました(奉公)が、時宗は戦に勝ったのに褒美としての与える土地(御恩)を持っていませんでした。フビライ・ハンは外国人で海の向こうの土地を摂取できないからです。さらに、財政難のなか、三度の元寇に備えて改めて国防を強化する必要もあったのです。このあたりの歴史の流れを話術たくみにお話くださいました。担当は師岡先生です。