感謝の心と素直な心
- 公開日
- 2020/08/04
- 更新日
- 2020/08/04
お知らせ
【律子の部屋 8/4 UP】
「感謝の心と素直な心」〜7月27日(月) 聞き取り朝会より〜
今日は、「いのち」を輝かせるための大切な「二つの心」について、お話をします。心の糸を張って、目と耳と心で聴きましょうね。
一つ目は、「ありがとうの心」です。難しい言葉で「感謝の心」とも言います。
皆さんは、おうちの人に「ありがとう。」と言ったことがありますね。では、友だちにはどうでしょう。担任の先生や保健室の石塚先生にはどうでしょう。栄養士の嶺井先生や事務の先生にはどうでしょう。落としたものを拾ってもらった時、ものを貸してもらった時、やさしい言葉をかけてもらったり、励ましてもらったり、困っているとき助けてもらったりした時など、いろいろありますね。こういう時は、すぐに「ありがとう。」ですね。こんなことだってあるでしょう。保健室でクスリを塗ってもらったり、熱があってベッドで休ませてもらったりした時、また、歩けなくておんぶしてもらったり、ささえてもらったりしたこともあるかもしれません。勉強がわからなくて困っていた時に教えてくれたり、手伝ってくれたりする時もあるでしょう。そんな時は、自然に「ありがとう。」ですよ。考えて「ありがとう。」じゃないんです。感じて「ありがとう。」なんです。ここ(ハート)で感じて「ありがとう。」なんですね。でも、「ありがとうの心」は、そういう時だけじゃないと校長先生は思っています。悪いことをしそうになった時に止めてくれたり、わがままを注意してくれたり、本当に大事なことを教えるために厳しい言葉をかけてくれたりした時も、心から「ありがとう。」ではないかと思います。厳しいことでも、いやな顔をしないで、心から「ありがとう。」と言える人になってほしいと願います。
二つ目は、「ごめんなさいの心」です。難しい言葉で「素直な心」と言います。
皆さんの中で、「ごめんなさい」とか「わるかったなあ」という気持ちを一度ももったことがない人はいないでしょう。「ひと」は、みんな素直な心をもって生まれてきます。その素直な心を、しっかりと表してほしいのです。失敗した時や良くないことをした時は、「ごめん。」「ごめんなさい。」「すみません。」「わるかったです。」「わるかったなあ。」と自然に言えることが大事です。「気持ち」を「言葉」で表してほしいのです。そして、同時に「次は気をつけます。」という気持ちをもつことが大切です。ここまでは、それほど難しいことではないでしょう。でも、ケンカをした後や言い合いをした後は、どうでしょう。悔しくて涙も出てきた、そういう場面です。「ごめんね。」を言うには勇気がいりますね。もしかしたら、「ふん。」とされるかもしれません。もっと傷つくことになりますから、なかなか言えません。じゃあ、言わなくていいのでしょうか。言わなくて気持ちがさわやかになるのでしょうか、気持ちよく生活していけるのでしょうか。「いのち」が輝くのでしょうか。
頑張る以外にないですね。仲間を信じて、勇気をもって、「ごめんね。」とそっと言うことです。どちらが先でもかまいません。両方同時が一番いいのでしょうけど。片方が気持ちを伝えれば、「ごめんね。」と返ってきます。
童謡詩人の金子みすゞさんは、こんな詩を残しています。
『こだまでしょうか』
「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと 「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。
そうして、あとで さみしくなって、
「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、 いいえ、だれでも。
信じて、やってみましょう。「ごめんなさい。」と言える子は、素直な子どもです。いのち輝く子どもです。
今日は、「いのち」を輝かせるための
「ありがとうの心(感謝の心)」と「ごめんなさいの心(素直な心)」
の二つのお話をしました。
各クラスや学年でも、いのちを輝かせることについて深めてほしいと思います。
<参考 『こだまでしょうか』について>
512篇あるみすゞの詩を俯瞰(ふかん)した時、全篇を優しく包み込むような作品がこの『こだまでしょうか』です。それだけに東日本大震災を受けて、CMでこの詩が流れたと聞いた時は本当に驚きました。
この詩で注目したいのは、「こだまでしょうか」という呼び掛けに「いいえ、誰でも」と答えている末尾の一文です。よいことも悪いことも、投げ掛けられた言葉や思いに反応するのは「こだま」だけではなく、万人の心がそうだとみすゞは言っているのです。この詩を耳にした日本人は、被災された多くの方々が味わった悲しみや辛い思いに対して、こだまする自分でいられるかどうかと考えたのではないでしょうか。一人ひとりがこの震災がもたらした被害を、自分のこととして感じる一つのきっかけを与えたのが『こだまでしょうか』の詩だと思います。こだまというのは、山から投げ掛けた言葉がそのまま返ってくるわけですから、大自然の懐に包まれたような安心感を生み出し、私たちの心を優しくしてくれるのです。この詩に触れ、心の内で何度もこだましているうちに、どこか優しくなれた自分を見つけることができたのでしょう。募金活動がこれほどの大きなうねりとなり、また多くの日本人がボランティアとして被災地へと向かう後押しをしてくれたのが、「こだまでしょうか」という言葉だったのだと思います。言葉にはこれほどの力があるということを、私は改めて教えられました。